moetudukeruonnaのブログ

娘が罹患した失統との闘い

世話するのが嫌になった時

父の認知症は 比較的穏やかなボケ方だったが、一度「もう 嫌になった。。放っておこうか・・・」と思った時があった。


☆☆☆☆☆


あれは 私が小5の頃だ。


中学3年だった 上の姉が白飯を二~三口 床に落としてしまって
「わぁ、落としてしまったーぁ」と朗らかに笑って済ませていたが、
その時、姉の顔を ぎろーーッ!と 睨み付けていた父の顔は…
家族に対する愛情は  私には微塵も感じられなかった。
職場に於いて、部下の失態を睨み付けて 無言で威嚇・抑止・制圧している…そんな感じだった。
我が娘よりも ご飯粒の方が大事なのである。


父は床に落ちた食べ物でも きっちり拾って食べる。
食べ物を粗末にする行為は 最も忌み嫌うべき行動なのである。
姉を睨み付ける父の顔を見た私は、絶対 父の前で食事を残してはいけなかった。
完食しなければいけないのである。


☆☆☆☆☆


だから たとえボケてはいても その人の本質は変わらない。


老いた父に 毎日 昼食を作って 持って行き、同じテーブルで一緒に食べる時
私は最高に気を遣った。


歯の悪い私は、 噛みきれず 飲み込めない野菜は そっと食器の隅の方に隠し
父に見えない角度で「ご馳走さま~ぁッ」と 器を高く上に掲げて 台所まで運び
こっそり 捨てるのであった。



ある日のこと、そんな手持ち弁当の昼食だったが
父が 最後の一口をなかなか食べない時があった。食べるのを忘れているのでもなく
かと言って箸を進ませる気配もなく・・
ほんの一口ほどだったが まだ茶碗の中に御飯は残っていた。
私としては辛抱強く待ったと思ったが、お腹がいっぱいになって食べられないのかな?
とも思って、父に「もう いいの?」と訊いた。


「うん」…少々疑問の残る答えだったが、もう要らない と言ってる様に見えた。


私はサッサと食器洗いを済ませ、父を別の部屋に誘導する。
庭が見え 座り心地のいいソファーもあり 陽当たりのいい場所である。
父を座らせた後、私は食後の飲み物を用意する。
大抵は牛乳を少し薄めて 蜂蜜を入れ 温める。


さて 私が食後のホットミルクを持って行った時だった。
「あれはどう言う意味や?」と険しい顔を私に向けた。
「御飯がまだ残ってるのに 捨てたやろ?、あれはどう言う意味や?」
と、 たった一口  茶碗に残った御飯を サッサと処分した私を責めるのである。


腹が立った。


「アンタの食べてる その御飯、誰が毎日作ってるんだ!」
と言いたかったが  ぐっと堪え


「えっ!?、そうお?、残ってたぁ?
見えんかったわー」と笑い飛ばし 早々に退去した。


毎日 手作り弁当を持って 通って  食べさせて…
「じゃ また明日来るわな」と安心させて、家路につく。
しかし その帰路の途中で、また 明日の食材の買い出しをするのである。


あの日ばかりはムカついて太郎にも一部始終を話した。


「ほんじゃ もう 行くの止めたら?」
太郎の その一言で、私は救われた。


介護のしんどさを、たとえ代わってもらえなくても
理解してくれる人が居ると 介護者は救われる。