moetudukeruonnaのブログ

娘が罹患した失統との闘い

今までの 十五年間を振り返る

今から振り返ると…


お福は24歳の時に統合失調症を発症していたようだ。
 「皆がザワザワ 私の悪口を言ってるように感じたから、仕事は辞めないといけないナ」と考えたと言う。


パートを辞めた後、家(一番目の家)の夫の商売を手伝いながら、だんだん部屋に引籠るようになって、結局2年間引きこもっていた。
お菓子しか食べない日も多かったと聞く。
 後年 夫に聞いた話しだが「二階から駆け下りて来て『お父さん、このお菓子に麻薬が入ってない!?』と妙なことを言ってきたんで『そんなモノ ちょっとくらい食べても死なんワ』」
と取り合わなかったらしい。


 太郎に言わせると「あの頃は誰が見ても様子がおかしかった。顔つきも変わっていたし」


なぜ、その時 夫はお福を医者に連れて行かなかったのだろう?


 私は そんな無能な夫を伴侶に選んだことを 今現在でも、大変 申し訳なく思っている。
お福に対して。。
 三十過ぎても社会保険制度に無知だった太郎に対しても。。


 次郎だけは 私の狭小住宅に移り済んだので なんとか大人に育った。


 統失の急性症状がパニックを起こし お福がSOSを発信し、私の許に迎えた当時…
夫婦仲の悪さが病気の発見を遅らせた。


 私は
「無理もない。あんな夫の許で居たのだ。私と同じ様に あれこれ文句を言われ神経がまいってしまったのだろう。」と方向違いの路線に進んだ。


しかし 私は数ヵ月後には精神科の医者に連れて行ってるのである。
 自称「医者」は、誤診を一年半 続けた。


 病気は早期発見・早期治療が原則だ。


 夫婦仲の悪さ・医者の誤診、双方が相乗効果を発揮して
 お福が犠牲となってしまったのは言うまでもない。


 彼女が統失を発症してから、その発見に至るまで 実に五年以上の月日が流れていたのである。
 本当に…財力・能力共に欠けた、あんな夫を選んだのは取り返しのつかない痛恨のミスだ。


お福をマンションに迎えて10年経った…


今現在・・
①トイレットペーパーの在庫を確認し、常に補充できるようになった
②常備食材のヨーグルトも そこそこ お菓子の買い物ついでに補充できるようになった
③自分の夕食が 自分で調達できるようになった(後片付け含む)
④チャンスが合致すれば 親の使った食器の洗い物も受け持つようになった
⑤洗濯機に洗剤を入れ、タイマーを押して洗濯できるようになった
⑥保健所で行われているデイケア・・月に2回ほど 自分で行けるようになった
⑦パソコンで食事日記を続ける事により 自分の一日の総摂取カロリーを把握できるようになった
⑧気が向けばウォーキング・筋トレを出来るようになった
⑨時間が合えば 配膳の手伝いもするようになった


確実に快方に向かっている。


 私は 彼女が洗濯タイマーを仕掛け、朝になって洗濯機が回り終わっているのを確認すると
嬉しそうに声を出すのである。
 「福ちゃん、福ちゃん、知ってた?
この洗濯機は さすがの全自動やわ! ほら、朝になったら洗濯物が出来上がってる!」


 私の使った食器が綺麗に洗われている時も声をあげる。
 「わッ、さすが新しいシステムキッチンや! ほら、食器洗いも段々進化して 何もせんでも綺麗になってるワ!やっぱり文明の利器は凄いなぁ」



しかし、私は考えるのである。
 弱い人間には 弱い人間の生き方がある。
お福の病気は行政の支援を受けられるのだ。何もかも自分で出来なくてもいい。
 上手に人(ヘルパー)に頼むワザを極めればいいのだ。
 自分の出来ないことを 上手く人にさせる…皮肉にも夫の生き方だ。


 案外、夫の背中は お福のいい見本になるかも知れない。。。



 (ここ一ヵ月、私はブログ綴りに熱中した。
 熱し易く冷め易い私である。別のもう一つの仕事も 私にはある。
 一応、この辺で ブログ綴りを 一旦 休止する。と思う。)