moetudukeruonnaのブログ

娘が罹患した失統との闘い

少々困った認知症①

私の父は古紙回収(セミプロ)も行っていた。


 定年退職後は 何かしら 自分の出来る範囲内で収入を得ていたのだ。


シルバー人材センターに登録して 人の家の庭掃除をしたり 駐車場のゴミ拾いを受け持ったりしていた。
そんな中で 何気にゴミ箱に捨てられた古新聞や古雑誌を拾い集め、自宅の軒下に所狭しと溜めておき、自分は車は持っていないので本物の古紙回収業者に 自宅まで取りに来てもらい、現金に換えてもらうのである。
そう言う父の暮らしぶりを知っている近所の人の中には、親切にも父宅の門前に古新聞の束を置いてくれる小母さんも居たりした。


その当時は古紙回収車が街中を走り回っていて
「古新聞~・古雑誌はございませんかぁ~?、現金 又は トイレットペーパーと交換いたします~」とスピーカーで呼びかけながら 住宅街を徐行運転で回収に廻っていたものだ。
 業者によっては回収に廻る曜日も一定していて、
 各家庭は決まった曜日に 玄関口に古新聞の束を置いておくと、業者が黙って回収し 門柱の上にトイレットロールを置いておく、と言った暗黙のルールもあった。



その日は 週3回の割り合いで父を外科病院に連れて行き
脚のマッサージ・リハビリを受けさせて帰る、その帰路であった。
 父が「ちょっと、あっちの道に寄り道して」と言うのである。
 「あの家は 朝日新聞をとっていて、今日は その古新聞の束を置いてくれているかも知れない。いつも あそこで朝日新聞をもらうんや」
と期待を込めた目である。
 父は朝日新聞が好きで 連載で載せている記事を切り抜きしていた習慣もある。


 私は 何の疑いもなく 横道に入り その家の前で車を停めた。
 静かな住宅街だが 父宅からも そう遠くない距離で どうやらいつもの古紙回収のルートみたいだった。


 父の期待通り、古新聞は門扉の近くに置かれていた。
 脚の悪い父が杖をつきながら、 ある程度の重量のある古新聞の束を運ぶのは 少々難があった。
 私は素早く父を手伝って 車の中にその重い束を運び入れ
満足げな助手席の父に顔を近づけ、車を発進させながら訊いた。


 「どこかの知り合いの人?」


 父は、地域が提供している「老人大学」に通って 盆栽の勉強も行っていた経験もある。
 友達のいない父だったが、そんな関係の知人もいるだろう。


 父は無邪気に答えた。
 「いいや、全然知らん家や」


ぎょッ!とした。


なんと!
もしかしたら 私は窃盗の片棒を担いだかも知れない。。