moetudukeruonnaのブログ

娘が罹患した失統との闘い

無邪気な認知症③

私の父は 孫やひ孫が生まれると、必ず その子の名前を彫ったハンコをプレゼントしていた。
ハンコ屋さんに注文して、その漢字(文字)を彫ってもらうのである。


それほど高価な印鑑ではなく 「その時」は1680円の値段だった。


その頃は 父は比較的 まだ元気で 脚が悪いながらも 自分でも自転車で街中を走り回ることが出来た。ただ 耳は多少 難聴で そこがつらい処であった。
「その時」は 私が いつものハンコ屋さんに車で父を連れて行き ひ孫のハンコを注文した。
父が「いくらになる?」と値段を訊き、ハンコ屋さんは…確か「1680円です」と言った気がしたが、父は「え?」「え?」と2~3度 訊き返し「あ そう、1480円ね」と一人で変な数字を覚え込んだ様子だった。
まぁ、いい。どうせ 来週、また私がココへ連れて来て ハンコを受け取るんだ。
簡単に考えていた。


4~5日後、父は一人でハンコを受け取りに行ったらしい。
既に 自分の手元にハンコを置きながら 値段の件で少しもめた事を ちょっとばかり不服そうに私に話すのである。


ん? もしや?、と考えた私の勘は当たっていた。
後で あわててハンコ屋さんに行って 事情を聴くと「ええ、お父さんが頑固に1480円だと聞いた、っておっしゃるものですから…もう コッチも折れたんですよ」
私は すみませんでした と謝りながら差額の200円を払っておいたのだが
話しが面白いのは ここからである。



父は常時 予備においている小銭を除いて、余分なお金は家においていない。
たとえ1000円でも2000円でも 必要になった都度 銀行の窓口に行って、出金表に名前を書き判を押すのである。
出金表は、落ち着いて書けるよう いつも数十枚は自宅に持ち込んでいた。
そのハンコ代も、自分で銀行へ行き 出金してから ハンコ屋さんに持って行ったと言う。


ん? おかしい。もう3時は過ぎていた筈である。
その銀行の窓口は閉まっている時間帯だった。


「え?夕方に窓口に行ったん?」と訊くと
「うん、ちゃんとお金を引き出してくれた」と言う。
「どこから銀行へ入ったん?」と訊くと
「裏口の戸をドンドン叩いたんや。中から銀行の人が出てきてくれた」と言う。


なんと言うことだ!
父は 銀行の裏口の 頑丈な鉄製の扉を ドンドン叩いたのだ!


その頃は物騒な銀行強盗が世をにぎわしていた時代である。
各銀行も徹底的にセキュリティを強化していた。


よく まぁ、、開けてくれたものだ。。。




この話は お祖父ちゃんの武勇伝である。
太郎も「お祖父ちゃん 凄い!最強やな」と感心していた。