moetudukeruonnaのブログ

娘が罹患した失統との闘い

這えば立て 立てば歩めの親心

「ウチの娘が自転車に乗って 保健所のデイケアに行くようになったぁーッ!
ここまで来るのに 5年掛かったぁーッ!」


と嬉しげにネット上で報告出来たのは、
もう木工細工の趣味に飽きが来て、あるサイトで親しくなった、
中年女性(おそらく…)に向けて であった。


木工細工は3年ほど続いたが その内に家の中が作品だらけになり…
置き場にも困るようになり…


ひょんなことから PCの そのサイトに参加する様になって…
「あ!、面白い!家の中で遊べるし、お金も掛からない。人とのコメントのやり取りは頭も使うし、文章の構成も考えるから 私の好きな分野に入る。
うん、当分はコレだ!」
と、私の趣味はネット遊びに移った。


そこは座談会のようなサイトで 様々な人が色んなお喋りをしていた。


私は普段、お福と二人きりである。【重役出勤】も 既に一人職場だった。
太郎も その頃は夫の商売の手伝いを辞め、他の職場に変わっていたのである。
私は 話し相手が欲しかった。
お福とは ピンポン玉の様に、ポン、ポン、はじける様な会話は 出来ない。それに何と言っても何年も外には出ていないのだ。喋る話題も無い。興味の対象も違う。


私が 暇があればパソコンにしがみついて そのサイトに夢中になるまで
さほどの時間は要しなかった。


中年女性とはサイトの中で様々なお喋りをした。
パソコンに珈琲を飲ませて 没にしてしまった事、
彼女が娘さんとヨーロッパ旅行した事、大学生の息子さんが卒業旅行で風邪の熱を出し、
向こうの病院(アメリカ)で「肺炎だから退院不可」と言われた事


健康な思考の出来る、しかも年齢も似通った人と交信するのは楽しかった。
私が 家に居る時は パソコンは ほぼ独占状態だった。
体力を要しない、料金も掛からない、家の中と言った安全地帯で遊べる。



そんな中で お福の病状は 寄せては返し 引いては返す 潮の満ち引きの様に
ほぼ 善い方向に向かっていた。


自ら体重を気にしていた彼女は、独りでウォーキングを始めたり、
自分でジムに通うようになったりした。


私は その時 その時で、「これで大丈夫だ」と確信を持ったりしたが
お福だけかも知れないが やはり病気の快復には「波」があった。
2週間 毎日ウォ―キングを続けても また2ヵ月 行かなくなったりするのである。


ジムも数ヵ月続けていたが「周りから見られている様な感じがする」
辞めてしまった。


お福が自分で自転車にのってデイケアに行き始めた頃(中年女性と楽しくやり取りしていた頃)、早速 新しい自転車を買った。
しかし 天候が悪い日は やはり私が車で送り迎えする。
暑い日・寒い日・雨の日…一年を通すと 結局 新しい自転車の出番は少なかった。


この病気には一喜一憂は禁物、そう悟るまで 私には何年もの月日が必要だった。


「這えば立て 立てば歩めの親心」…
最初の寝たきりヒッキーに比べると ウォーキングするなど 考えられない進歩だ。それなのに、あ、またやる気を無くしてしまった、もっと毎日歩き続けて欲しなぁ・・


ウォーキングが出来るくらいなら 洗濯物を取り入れるとか、麦茶を作っておくとか、用事も出来そうなのになぁ・・


私は 趣味に没頭しながらも、密かに心中で不満を抱いていたのは否めない。


上手くお福をだませていたか は分からないが ともかく、彼女の病気などは眼中になく(?)
ニコニコと楽しそうにサイト遊びに夢中になった事は確かである。
趣味に没頭して、生きるを楽しむ。嘘でもいい。楽しんでいるふりをする。



サイトの中年女性との「お喋り」は足掛け3年ほど続いただろうか…
その内、私はまた別の物に興味が移り、彼女の方も忙しかったのか
自然と疎遠になった。。