moetudukeruonnaのブログ

娘が罹患した失統との闘い

トンネルの中

お福の主治医は、結局のところ
彼女自身が14年ほど前に自ら見つけて通院していた町医者の精神科に決めた。お福が通っていた頃は「お爺ちゃん先生」が現役で診療していたが 現在は息子さんの代に変わっている。
カルテはお爺ちゃん先生の頃から 継承されていた。



【お福が、「今 食べたお菓子には麻薬が入れられている。私はソレを食べたので死ぬかも知れない!」と言って 自分で救急車を呼び、
病院からの帰りに 私にSOSメールを発し、
私には「お父さんと太郎に誘拐されて外国に売り飛ばされる!」と言った夜に
太郎と次郎、私とお福、四人で門戸を叩いた医院だ。


最近 太郎に聞いたことだが、「あの頃は誰が見てもおかしかったよ。顔つきも全然変わっていたし。。」だった。


私には普通の顔にしか見えなかったのは 私が無神経だったから か?
お福が猫を被っていたから か?
ただ、狭小住宅で世話していた時、何か憎しげにギラリとお福の目が光る瞬間があった。人間の目ではなかった。何か邪悪な獣の目の様な感じがして、心の隅にずっと引っ掛かっていたものだった。現在は そんな「目」は無い。ともかく…】


ともかく…障害年金受給の為の診断書も書いてもらった個人開業医だ。
お福は必要量の薬を飲み、マンションの一室で ほとんど「寝たきりヒッキー」となった。
起きるのは トイレ、食事の時だけだった。
お風呂も入らない日の方が多かった。ぐんぐん体重が増えたのは言うまでもない。長い髪はからまってダマが出来ていた。
久しぶりに美容院に連れて行った時、その塊りを解きほどくのに 美容師二人がかりですいていた。


お福をマンションに迎えてから、彼女の病気と闘っているのは
他でもない、本人でもない、この母親の私 の様な感じがした。
漢方薬・マッサージに加えカウンセリングも受けさせた。


しかし、徐々に…
・「医者からもらった薬に加えて 漢方薬を飲むのはしんどい」
・マッサージ店は客足が伸びず閉店した。
・カウンセリング……「何を話せばいいのか分からない」


次第に私の闘争心は冷めていった。。
いつの間にか、一切関わらない方がいいのではないか?
ああせよ こうせよ は言わない方がいいのではないか?
正直、そう考える方が 私は楽だった。



私は食事・洗濯・掃除(最低回数)など 最低限の身の回りの世話をするだけになった。
朝 起こすこともなく、風呂を強要することもなく、食事時間さえ彼女自身に任せた。食べ物と飲み物はいつも保温箱に入れておいた。


出口の見えないトンネルの中に居るようだった。手すりもない。非常灯もない。
手さぐりで進む。しかし その方向が正しいかどうか さえも分からない。
私にとっては暗黒のトンネルである。


私一人で また違う精神科を訪ねた事もあった。
その医者は「うーん…お母さんは何を優先するべきか、混乱されているみたいですね。締めるべき処は締めなきゃいけないんですよ。(起床や就寝時間のことかな?)
それと、この病気はですね、年単位で考えなければいけないんですよ。」
この言葉は今でも記憶に残っている。



ただ、お福は 私が買った一冊の統合失調症の本を バイブルの様に枕元に置いて読んでいた。
「これを読んだら安心する」 そう言っていた。