moetudukeruonnaのブログ

娘が罹患した失統との闘い

ジリジリの焦燥感

私の好きなことはヒップホップを踊ることである。
もちろん 自分で振り付けなんか創造出来ない。


インストラクターが教えてくれるまま…、
いや  彼・彼女達の指導通りに身体が動く筈はないが、指導をあおぎながら音楽に乗って躰を動かす・汗を流す…私が楽しんで夢中になれる数少ない所作だった。


認知症の老父の世話をしながらも、
お客人になっているお福の世話をしながらも、
バセドウを発症しながらも、
ジムに通い、そのヒップホップの基礎となるパワーヨガやエアロのプログラムを受ける、それだけが私の心を癒していた。


「甲状腺眼症」は その趣味を奪い去った。
(いや、無理をすれば やって出来ないことはない と今でも思うが…)


私は失望した。
正確に言うと、失望しながらも いやいや やる気になれば何でも出来るんだ!と闘争心を燃やした、と表現する方が当たっているように思う。
しばらくの期間は、夫の商売を手伝うようになるまでは 無理してジムに通っていた。


介護うつがどんな症状を引き起こすのか 正確には知らないが
私は父を見舞うことが怖く、つらく…病室に入るのがひどく苦痛になっていた。
かたや 眼が不自由になってもジムに行く、
ジムには行くくせに 父親の見舞いには行けない、
あれほど財産をくれた父親である、尽くしても尽くしきれない父親なのに…
寝たきりだからこそ 顔や手を温熱タオルでぬぐい、脚をマッサージして筋肉の硬直を防ぐべきなのに…
毎日 見舞うべきなのに 怖くて行けない、病人の身体に触るのが怖い。すぐにサボってしまう。見舞えない自分を責めていた。毎日 ジリジリした焦燥感があった。


そんな私のつらさは下の姉には見えなかったのだろう。
下の姉は器用な方で、何でも「出来る」部類の人間である。自分の身体を犠牲にすることなく、上手に私を助け 父を見舞っていた。
甲状腺眼症の詳細を知り、斜視手術を受ける事が出来たのも 姉がネットで「甲状腺眼症」の本を買ってくれたお蔭である。
姉は「もらう物だけもらったら お父ちゃんを放ったらかしにした」
と後日 私を攻めた。
私が眼症を患ったのも 父の財産を勝手に使い込んだ「自業自得だ」とも言い放った。
下の姉は、父から私がもらった財産の金額を上回る財産を 数十年も前にもらっていたにも関わらず、だ。あの言葉は忘れられない。



一方、お福の方には 人に「西洋の精神病薬は肝臓に負担をかけますよ。漢方薬の先生を紹介出来ますから 一緒に行きませんか?」との親切な言葉に心を動かされ、
そんな遠方には行けないけれど…、近くの漢方薬局にお福を連れて行った。
高価だが 今服用している薬と併用してもいい、沢山の漢方薬をお福に強いた。


治るまで3~4年かかると言われた お福の病気 「統合失調症」、それを私の力で1年で治す気力だった。
徒歩圏内にマッサージ店もあったので お福を連れ出し、私は料金の安い顔マッサージだけ、お福には全身マッサージを受けさせた。


今 思えば・・何もやりたくない、薬の作用で躰がだるい お福にとっては、随分ハタ迷惑な母親だったろう。


その頃は…常に焦っていた。やるべき事柄があるのに 出来ない。しない。そして、そんな自分を責める私が常に居た。


寝ている時、ふと目覚めると… 寝ている筈なのに 歯を食いしばっているのが分かった。