moetudukeruonnaのブログ

娘が罹患した失統との闘い

堪忍袋の緒が切れる

我慢に我慢を重ねると どこかで帳尻を合わせるのか?
それともバセドウが そうさせたのか?


お福が来て約二年 あの頃はリーマンショックとかで
色んな会社が倒産していた頃だ。
私は経済の事は何も知らないが 片田舎でも新しいマンションが建設され
そのマンションがSALEに出されている。


買い時だと思った。
いや 今の狭い四畳半の部屋よりも広い居住空間が欲しかった。突き詰めて言えば お福から離れた生活がしたかった。
管理を任されていた父の資産を使い込んで 私はマンションを買った。
衝動買いだった。
もちろん この件は後で姉達から大いに不満の声が上がり 所謂「骨肉の争い」を実感する事となる。姉達はどうか知らないが 今 私の方では「このまま顔を合わせずにあの世に行っても 別に差し障りのない人達」である。


ずっと上げ膳据え膳、面倒みているのに 一向に自立しようとしないお福。
元医局長の診たてを信じて疑わなかった私に 夫の方から情報が寄せられたのはこの頃である。
「自立支援塾」なるものがあって、2~3週間ほど共同で寮生活を送らせ自立できる様に色々教えてくれるらしい。お福に勧めると「行く」と言う。夫は人にお金を出させるのが上手な人である。
マンションを買った為に貧乏になった私は、塾代を 指輪やネックレスをリサイクルショップに売って資金を調達し、先ずは母娘で面接に行った。
塾長は細身の 決して若くはない男性だった。
「私も自殺願望が強くて それに随分悩まされましたよ。」
お福には希死念慮も自傷行為も無かった。私は、「この人自身 うつ病の経験者なんだな」と それでも 方向違いの他人事として聞いていた。
しかし、気になる質問が一つだけあった。
「娘さん、誰かに後をつけられている、見張られている、と言ったりしませんか?」と。
私は正直に「あぁ、あります。でも医者は単なるうつ病だと言ってますし 私は医者を信じています」ときっぱり言い切った。
塾長は「医者って言うのは頼りないものですよ」と言ったが 残念な事にそれ以上は私を追い込む事はしなかった。


かくして 2~3週間ほどの自立支援塾へお福を送り出したのであった。
私の元でのニート生活2年の頃だった。
(時間経過に関して 記憶違いもあるので、数字は また編集し直す可能性あり)