moetudukeruonnaのブログ

娘が罹患した失統との闘い

医師免許を持った人 その② 前編

お福を迎えてからも、私は父親関連で使命感に燃えていた。


上の姉から実家を綺麗に整備整頓するよう指令を受けていたのだ。
父親を老人ホームに送り込んだ後、主の居なくなった実家。
戦争を体験した人は 物を捨てない。


何十年も前に、まだ母が存命している頃に買い換えて不要になったトイレのスリッパさえ 物置に大切にしまい込んでいた。
私達姉妹が子供の頃着ていた 木綿のワンピース三着をはじめ、40年も前からの子供服、未使用のまま 染みのついたシーツ類・ゴムの伸びた靴下・虫に穴を開けられた毛布類、ラクダの股引などの下着類…数え上げればきりがない。
まだガス風呂に替えていなかった頃のマキ木・炭・練炭。
お餅を入れる何層にもなった木製の箱。


それほど上等でもないシリーズ物の食器類、それを収納する為の三台の食器棚。
箪笥も数棹。私達姉妹が使っていたベッド・机・本棚もまだ処分していなかった。
その上に 父親は収集癖もあったので、空のベッドの上には様々な物が積み重なっていた。
公園から拾って来た、空気の抜けた大小様々なボール。忘れ物の傘50本以上。
普通のゴミ置き場から拾って来たであろう破れた衣服類。
粗大ごみ置き場から拾ってきた椅子・ソファ。


自転車に至っては16台ほど拾って来て 物置や庭に所狭しと保管していた。
錆びた工具や様々な剪定用の庭道具は もはや使い物にならなくても別の物置に入れていた。


他府県に住む上の姉は「要らない物はバンバン捨ててね」簡単に指令を出した。


お福の世話・実家の整理、ゴミ出し・父との面会・ジム通い…
急速に私の躰の【更年期障害】(?)は進んでいった。


蕁麻疹→新婚の頃も蕁麻疹が盛んに出ていたが それよりも粒が大きかった。単なる疲れ・冷え(新婚当時 夫は、それは冷えボロだと言ってのけた)と解釈していたが…
手の震え→実家の庭木の手入れのせいだろう と解釈していたが…
毎日続く下痢→更年期障害の症状の一つだろう と解釈していたが…
不眠→更年期障害の症状だと解釈していたが…
息切れ→加齢によるもの と解釈していたが、この「息切れ」が私に検査を決断させた。毎日ジムで鍛えているのにゴミ出しくらいで息切れするのは筋が合わない。


当時は「頻尿」が気に入らなかったので泌尿器科でソレ用の薬を貰い、睡眠薬も処方してもらっていた。医者にしんどい旨を告げた。
念の為 と血液検査をしてくれた。
後日「まさかと思いましたが、念の為甲状腺ホルモンの数値も調べたところ異常値が出ました。貴女の年齢でこの病気は珍しいですが専門医を紹介します」


甲状腺・糖内科の医院を紹介してもらったのは 今から12年前のことである。
認知症の父親の介護を始めて2年程経っていた。


頻尿・頻脈・運転する時視界が暗くなってくる…
心理的には ヤル気満々で 特に家族を守る為にはとことん頑張ろう!と言う気になる。
甲状腺の専門医は「今、貴女の神経はピリピリに尖った状態です」と万年筆を逆さに向けて説明していたっけ…


この医者が「医師免許を持った人 その②」を紹介してくれた。