moetudukeruonnaのブログ

娘が罹患した失統との闘い

家長の責任①

夫の悪口である。


私は 一旦 夫を捨てて別居したが、現在 夫の商売を手伝うと共に 食生活の面でも手助けしている。
私は 多分執念深いのだろう。


一時は「頭の悪い奴に 頭良くなれ と言っても土台無理な話し。バイト料をがっぽり戴く事で 今までの事は もう 許してやろう」と思ってはいたが、やはり色んな恨みつらみが沸々と心中に沸き上って来る。
忘れもしない・許しもしない、寛大ではない心を 私は持っているようだ。


下の写真は 現在の私の部屋の壁である。
その頃はインテリアに燃えに燃えていた。
視力の悪い中、平衡感覚に最大限の注意を払って…相当の時間を掛けて…
三段脚立の上部に登り、天井近くまでウォールステッカーを貼り付けた。


若い頃は、家事は全て私の仕事だったから 天井の電球替えも私の仕事である。
心の底では「こんな事くらい夫がやってくれても良さそうなものなのに」と不満に思いながらも
脚立に登るのは苦にならなかった。眼は大事だ。視力は良い方だった。


あれは もう お福も高校を卒業し 太郎が高校へ通っている頃だった。
その頃、夫婦仲が凍り付いている中で 意に反していたが、夫が騒ぐので仕方なく(計画していた)別れ話しを出した事があった…
確か 私の方が「今まで お父さんは何をしてくれたか?」と訊いた時の答えだったと思う。
夫が口にした言葉がある。
「俺は この家族の家長だ。長である。その責任は重い。
子供らが何かしでかした時・・警察沙汰を起こした時、警察に行くのはこの俺だ。俺には重い責任があるのだ。」
奴は 自分で自分の言葉を染み込ませる様な口調で言っていた。


下の写真は阪神・淡路大震災の直後、
私が 家具転倒防止金具を買って、か細い腕力で 箪笥と壁を固定した時の遺跡である。
今は箪笥は廃棄処分したので 金具だけが残っている。
夫は自然災害に対して、家族を守る為の策は 何も講じなかった。




因みに 40年程前、庭に大量の廃材を溜め込み その上にブロック2~3個置いて「それでよし」と脳天気だった夫…
強烈な風をもたらした台風が来た事があった。看板などは吹き飛んでいた。
私は幼い三人の子供に家の中に居る様 命じ、一人でその廃材にロープをかけ
ひとくくりにして 強風で飛ばない様 しっかり括りつけた。



「家長の責任」とは何だろう…