moetudukeruonnaのブログ

娘が罹患した失統との闘い

青い鳥と五体不満足

現在 お福と私は「五体不満足」だ。


お福は脳。私は眼。
お福の統失だけは 何とか 私が存命の内に寛解まで持って行きたいが
多分 私の眼の不具合は変わらないだろう。


持病のバセドウの方は一生の付き合いになってもなんて事は無い。薬で調整できるのだから。


青い鳥は身近に居る。


一昨日は 太郎がちょっとした居酒屋に食べに連れて行ってくれた。
揚げたての天ぷらが美味しい店だ。久しぶりに 人間の食べる食事が食べられた♪、と言う感慨がある。



夫に言わせると とにかく私の料理は不味いらしい。
私は薄味志向である。山育ちの夫は 中学校を卒業して集団就職で町へ出るまで、
その子供時代を、ほとんど だだっ辛い沢庵で育ったらしい。
今は亡き田舎の義母の作った沢庵・梅干しは、私には到底食べられないほど辛い物だった。
二人の食生活が 足並みを揃えられなかったのも無理はなかった と思う。
私の作る料理に 夫はことごとく文句を付け、私は 今でもその細々したセリフをきっちり覚えている。
しかも 夫は自分では料理しないのだ。後年 聞くと「料理は知らない」だった。
食事マナーも… テーブルに出された物を「いただきます」の挨拶もなく、獣の様に先に先に と食べて行く。
猿のような夫だった。
一度 お願いしたことがある。「私が料理を全部作り終わって 席に座るまで待って欲しい」 と。
奴は言った。「膳と言うものは 最初から揃えているものだ」
つまり、妻なる者は 夫の食べたい時に 全部の料理をテーブルに揃えておかなければいけない、と言う意味である。
おそらく 自分を殿さまの様に思っていたのであろう。


私は長い間  調理を苦痛に感じ…認知症の父を介護し 同時にお福の面倒も看て、自身がバセドウを発症した頃から 食事を美味しく感じた事はなかった。



そんな無教養な夫とは違い、太郎・次郎は優しい。
次郎は契約社員で2年ほど働いた時期があったが 最初の給料でフランス料理を奢ってくれた。(これは狭小住宅に住んでいた頃の話である。まだ父の認知症も始まっていない、お福も統失を発症していない頃だ。)



一昨日 「残業代が意外と多くて給料が沢山入ったから」と言って、太郎が奢ってくれた定食は美味しかった。青い鳥だ。


☆☆☆☆☆☆


昨日は 次郎が孫兵衛(私の孫)を連れてやって来た。
彼奴等は数ヵ月に一度の割り合いでマンションを襲撃する。
孫兵衛は…、
ステンドグラスのランプを鏡にガンガン当て付ける、
私がパソコンを開いていると
遠慮なく 玩具をハンマー代わりにしてキーボードを叩きつける、
飾り物を置いている 玄関のテーブルクロスを力いっぱい引っ張る、
エレベーター内では 跳びはね ボタンを押しまくる、
電子レンジの扉を開け閉めして その音を楽しむ、
モデム・ルーターを遠慮なく触り 大人達があわてて止めようとする雰囲気を面白がる。


そんな彼らの為に、お福も午前中から部屋着に着替え
夜まで 小さな怪獣、孫兵衛に寄り添っていた。


私は 必死で 一日中 食事作りに掛かる。


夜はすき焼きだ。
まだ 鍋を真ん中に置いて、火に掛けながら 皆で 鍋をつつくのは無理だが
あらかじめ炊いておいて 適当に自分の好みの量を孫兵衛から離れたテーブルで食べる事なら出来る。
私自身が 歯も弱いこともあり 孫兵衛にも食べやすい様に
野菜を くったくたに煮る。


鍋物の嫌いな夫が居たら さぞ こう言うに違いない
「水気が多いじゃないか。それに野菜はサッと炊いて食べなければ 栄養も抜けてしまうし
歯ごたえも悪い。こんなクタクタに炊く奴があるか!」


しかし お福・太郎・次郎の子供達は優しい。文句は言わない。
文句を言う、と言う態度ではなく、美味しくない手料理に対しては 率直に
「美味しくない」と感想を述べる。


次郎が孫兵衛を連れてマンションに来てくれる。青い鳥である。


しかし…そんな青い鳥が居ながら…
やはり、自分の眼に見えづらい後遺症が残り
且つ、好きなヒップホップが時間的に出来ない状況にいる事、
この二つが 青い鳥の感知を妨げている事は確かである。


下の写真は すき焼き作りの道中だ。