moetudukeruonnaのブログ

娘が罹患した失統との闘い

鬼母の兵糧攻め

「思い込み」とは 本当に恐ろしい。
 約二年間は一生懸命4~5歳の子供の面倒をみるように世話をして…
ん? おかしい。治ってもよい筈の時期なのに治らない、
これは怠け病ではないか?


と疑っていた処で「統失ではない」元医局長のお墨付きの診断が下されたのだ。
 信じない方がおかしい。


もちろん お福がすぐに仕事を見つけて働きだすとは思っていなかったが、
せめて 自分のことは自分でやって欲しかった。
お茶もコーヒーも 飲みたければ自分で沸かす。お風呂に入りたければ自分で用意する。
 洗濯物も自分で洗濯機を回し 自分で干し、取り入れ、片付ける。
 食事も出来合いの食品を買うにしろ、自分で作るにしろ、とにかく生活面だけでも自立して欲しかったし、一人暮らしをさせる事で強制的に そうさせた。
お福の病気を怠け病と思い込んだ私は鬼母だった。
その頃は もう お福は「後をつけられている」だの「見張られている」だのは訴えなかったのである。
母の私さえ疑って「お母さん 警察と連絡してるの?」と何食わぬ顔で訊いた事があったが、一人暮らしをさせた当時かどうか は覚えていない。


私は彼女を自立に追い込む為、じわじわと兵糧作戦も取り入れた。
生活費を渡す金額を徐々に減らしていったのである。
思い出すのも辛いので、具体的な金額は忘れてしまったが、最初は4万円ほど渡していたが最終的には 1万円余りのチビっとの金額だったように思う。


彼女には郵便局の、お福名義の通帳を既に渡していた。赤ちゃんの時からの祝い金、進学祝い、卒業祝い、そして親戚からのお年玉…
全部で300万円余りだった。自分で働けない時はその貯金を切り崩して生活する。そんな生活設計も自分で考え 自分で実行できる筈だと 私は考えていた。
現に彼女は300万余りの通帳を郵便局に持って行き、「全部引き出して下さい」と局の人に言ったと聞く。
「何に使うのですか?」との問いかけに「生活費です」とお福が答え、局の人は驚いたそうな…
で、「この定額貯金は高利の時の貯金だから下ろすのはもったいない」と局の人に言われ
結局 おとなしいお福は言われるままに解約しなかったらしい。

獅子は我が子を千尋の谷に落とす

お福は若者自立支援塾へ入塾した。
気候のいい初夏だったと思う。


私が お福の学習用の私物を一生懸命荷造りしていたら…
「お母さんが そんなに綺麗に包んだ荷物、もったいないから向こうで荷ほどき出来ないわ(*^^)v」とジョークを飛ばしていた お福。
そんなお福が塾を中途で辞めて家に帰って来たのは 送り出してから 翌日のことだった。たったの一泊!


唖然とする私に、お福は
「お母さんは 私の辛さを全然 分かってくれていない。
お父さんに躰を触られて どんなにイヤだったことか…」と まことしやかな虚言をはき、偽の涙さえにじませた。(いや、これは後で分かった事だが…触られていないのに 触られた感触がするも幻覚症状の内らしいので、彼女としては本当のことを訴えたまで だろう)


私は私で、「えっ!?まさか!?」
敵(夫)は野卑な人間だけれど 性欲は淡泊な方だ。ソコまで野生化しているとは考えにくかったが 可能性は捨てきれない。いや、コレは虚言ではなく 本当の事かも知れない。解明できるまでは自分の胸の内に秘めておこう。
こればかりは太郎にも訊けない・・と。


塾長に問い合わせすると、
「娘さんは 【自分は塾に入りたくなかったけれど母に無理矢理行かされた】とおっしゃってました。
面接した際には あれほどやる気を見せておられたので、こちらも随分 引き止めたのですが、もうこれ以上無理を強いるわけにはいきませんでした。
まずは病気を治すことが先決です」と。


私は とうとう堪忍袋の緒が切れた。


何を言ってるのだ!
大きな病院の精神科元医局長を務めた名医があれほど 『怖い病気』を疑いながらも
「どうやら恐れていた病気ではなさそうです」と診断を下したのだ。
先生が おどけながら「じゃ、うつ病とでも書いておきましょうかねぇ」と書いてくれた診断書もきっちり提出したじゃないか!?
【母に無理矢理行かされた】?、そんなセリフに簡単にだまされるとは!
病気?、そんなの 怠け病に決まってる!!


私はお福に宣言した。
「じゃあ、福ちゃん この家で自立する練習をしたらいいわ。
【獅子は我が子を千尋の谷に落とす】
ライオンが我が子を谷底へ落として、試練を与えるように
お母さんも 福ちゃんを この家に一人置いて、自立できるように試練を与えるわ。仕事を見つけて、自分のことは自分でしなさいね。」


そう宣言して 私は お福を一人 狭小住宅に置いてけぼりにして、
買ったばかりのマンションに自分だけが さっさと引っ越したのであった。。。

堪忍袋の緒が切れる

我慢に我慢を重ねると どこかで帳尻を合わせるのか?
それともバセドウが そうさせたのか?


お福が来て約二年 あの頃はリーマンショックとかで
色んな会社が倒産していた頃だ。
私は経済の事は何も知らないが 片田舎でも新しいマンションが建設され
そのマンションがSALEに出されている。


買い時だと思った。
いや 今の狭い四畳半の部屋よりも広い居住空間が欲しかった。突き詰めて言えば お福から離れた生活がしたかった。
管理を任されていた父の資産を使い込んで 私はマンションを買った。
衝動買いだった。
もちろん この件は後で姉達から大いに不満の声が上がり 所謂「骨肉の争い」を実感する事となる。姉達はどうか知らないが 今 私の方では「このまま顔を合わせずにあの世に行っても 別に差し障りのない人達」である。


ずっと上げ膳据え膳、面倒みているのに 一向に自立しようとしないお福。
元医局長の診たてを信じて疑わなかった私に 夫の方から情報が寄せられたのはこの頃である。
「自立支援塾」なるものがあって、2~3週間ほど共同で寮生活を送らせ自立できる様に色々教えてくれるらしい。お福に勧めると「行く」と言う。夫は人にお金を出させるのが上手な人である。
マンションを買った為に貧乏になった私は、塾代を 指輪やネックレスをリサイクルショップに売って資金を調達し、先ずは母娘で面接に行った。
塾長は細身の 決して若くはない男性だった。
「私も自殺願望が強くて それに随分悩まされましたよ。」
お福には希死念慮も自傷行為も無かった。私は、「この人自身 うつ病の経験者なんだな」と それでも 方向違いの他人事として聞いていた。
しかし、気になる質問が一つだけあった。
「娘さん、誰かに後をつけられている、見張られている、と言ったりしませんか?」と。
私は正直に「あぁ、あります。でも医者は単なるうつ病だと言ってますし 私は医者を信じています」ときっぱり言い切った。
塾長は「医者って言うのは頼りないものですよ」と言ったが 残念な事にそれ以上は私を追い込む事はしなかった。


かくして 2~3週間ほどの自立支援塾へお福を送り出したのであった。
私の元でのニート生活2年の頃だった。
(時間経過に関して 記憶違いもあるので、数字は また編集し直す可能性あり)

本当は太郎の方が的確に状況判断できていた

自分自身のバセドウの薬も飲みながら・・安定剤も駆使して父の病室を訪ね・・
お福にはお客様状態で日常生活の身の回りの世話をして・・
精神科の元医局長にも「恐れるような怖い病気ではない」と お墨付きの診断を仰ぎ・・
私はひたすら看護の役を務める日々…
きっと 休ませさえすればお福は治る…そんな日がどれくらい続いたろうか?


相変わらず週末に泊まりに来ていた 太郎が言った。
「全然 良くなってないじゃないか?」「以前と変わらない引きこもりじゃないか?」
太郎はお福が父(私の夫)の元で 約2年の引きこもりをしていた状態を知っていた。
こっちの家に来てからの引きこもりは 穏やかな生活ながらも1年は優に過ぎようとしていた。
「え?良くなってるやん!変なこと言わんようになってるよ」
と私は反論しながらも、それにしては回復する筈の長い期間 休ませているのに
なぜ 良くならないのか?…疑問を感じ始めていた。


じわじわ、私自身の中に不満が積もって来る。
もう お福も成人女性 心の病気かも知れないけれど、こっちも身体の病気なのだ。
しかも 入院しているとは言え老父の世話もある。
なぜ 私だけが家事万端 担わなければいけないのだ、
これは…やっぱり甘えなんじゃないか?


人間 一旦 楽を覚えると 二度とその快適な生活を手放す事は出来なくなる。
私は夫の元を離れて別居する事に依って 快適な生活を手に入れる事が出来た。
第三者的に考えると 何もしなくていい生活を手に入れたお福が何もしないのは
理に適っている と考えた。

医師免許を持った人 その② 後編

「とーごーしっちょうしょう」
その言葉を聞いたのは お福を迎えてからわずか2~3ヵ月後
下の姉の口からだった。
お福は父親の老人ホーム・病院にも顔を出し (彼女の)お祖父ちゃんを見舞っていたので、伯母にあたる下の姉とも時々顔を合わせていたのである。


姉「おかしいね~。福ちゃん どうしたんやろねぇ。とーごーしっちょうしょうでも無さそうやしね~」
私「え? 何それ?とーごーしっちょうしょう、って」
姉「昔で言う【精神分裂病】のことヨ。でも福ちゃんは分裂してないもんネ」
私「うん、うん、分裂はしてない」


やる気が出ないから 外に出ない。
面倒くさいから 用事はしない。
筋は通っていた。


私は思う。健康でさえ お金で買える と。
もし 私の夫が普通レベルの収入で普通の文化レベルの持主だったら
私も 或いはパソコンのネット検索に慣れていたかも知れない。
しかし その時は…ヤフオクで遊ぶ姉を横で見ながら
PCを持っていない私は、ネット検索の利用が我が娘の病気発見につながる事実を知る由も無かったのである。




日赤病院の元医局長にお福の様子を 事細かく説明して指導を仰いだ。
・もう 何ヵ月も引きこもって何もしない
・どうやらお父さんにボロクソに叱られて自信をなくした様に思う
・折り紙を褒めたら 嬉しそうだった
・薬に麻薬が入れられている と変なことを言っていた
・部屋に盗聴器が仕掛けられているから と言うので筆談した
・自力で治す と言って頑張っていた
・不眠症で昼夜が逆転している
うん うん 聞いていた名医は、色んな事を要領悪くしゃべる私をさえぎる様に
「アンタの話しは 重要なことと重要でないこと ごっちゃになって分かりにくい!、いいですか!?
【麻薬】【盗聴器】、この重大な言葉から『統合失調症』と言う恐ろしい病気の可能性が考えられます。放っておくと廃人の様になりますよ。明日にでも すぐにココへ連れて来なさい」


私は恐れおののいて 翌日 必死になってお福を その名医の元に連れて行った。
お福と名医との問診は穏やかに10分ほど行われた。名医は優しくお福に問い掛けていた。内容は…私は覚えていない。


ただ、名医が結論付けたのは
「恐れていた様な怖い病気じゃありません。」


私は 図らずも安堵の涙が どッと出て、どう考えても涙は誤魔化せず 娘にバツの悪い思いをしたのを覚えている。