moetudukeruonnaのブログ

娘が罹患した失統との闘い

家長の責任③

私が夫の商売を手伝う様になって間もなくだった。
太郎が新しいブラック職場に通い始めた頃である。


珍しく 次郎が一番目の家、夫の許に帰省した時、
夫はファミリー向きの居酒屋で 家族皆にご馳走を振る舞ってくれた。
夫婦二人と お福・太郎・次郎の五人が揃って食卓を囲むのは、十何年ぶりかのことであった。


お福の統合失調症の件は 病気が判明した時点で、医師の診断書のコピーを夫に送ったので、
奴もおぼろげながら お福が普通の生活を送れない状況を感じ取っていた様である。


実に久しぶりに五人で和やかな食事を摂っていた時、夫は言った。


「福ちゃん、何でも好きなことをすればいいよ。金はお父さんが出してやるから。」




太郎が商売から抜けた後は 外回りをするのは夫一人だ。
私には重い荷物も運べないし、扱う商品の名前すら知らない。


商売の売り上げは半分くらいに落ち、利益は一ヵ月30万~40万である。
私は給料として 遠慮なく月々20万を引いていった。
商売用の資金はぐんぐん減っていく。


しかし、夫は田舎の両親の遺産を 幾らかは知らないが受け継いでいるのを
私は知っている。
老齢年金も受け取っている。
それなりの蓄えもあるような事も本人自身が言っていた。



その五人の会食の後、おそらく2~3年後だろう。
お福がようやく 外の世界に興味を示し、
ガラケーをスマフォに変更したく思った時、彼女は
親子契約している夫に「スマフォに機種変更したい」と頼んだ事があったらしい。


夫は「料金が高くなる。お母さんが高い給料を取っているから」
と、こともなげに撥ね退けたそうだ。
今現在でも お福はガラケーのままである。


そして 最近は ごくゆっくりマイペースで
急かず慌てず 商売している夫と 
同じく 急かず慌てずデスクワークしている私が
同じ部屋で共に過ごす時間も増えた。


「福の調子はどう?、俺に出来ることは何かない?」

夫が 私に問いかける発言は 一切無い。



「家長の責任」とは何だろう…

家長の責任②

「簡単なデスクワークと電話番、あと仕入先への支払金の管理を頼む。
給料は 売り上げ金の中から10万でも20万でも、好きなだけ取ってくれていいから」

夫から求人が寄せられたのは7~8年前である。
太郎が夫の商売の手伝いを辞めて 自分の専門の仕事に就きたいから、と言う。


私がいそいそと 夫の商売を手伝いに行き始めた時
太郎は30歳近かった。


「東京に履歴書を送りたいんだけど 切手は幾ら要るん?」
彼は、82円×区間数を頭に思い描いていたようだった。


社会保険の医療保険を、あっさり生命・第二生命の医療保険と同じように考えていた。


つまり…30歳近くになっていても、全くの世間知らず だった。
会社の仕組み・福利厚生も分かっていない様だ。
私が出て行った時の高校生のまま 時計は止まっていたかの様だった。


夫は この子に 一体何を教えていたのだろう?


太郎がネットで見つけた職場は、ハローワークには登録していない
極めてブラックに近い 名ばかりの有限会社だった。


太郎は その個人経営者の許で3年半 務めたが
そこの社長は自己啓発セミナーに惚れ込み、「白菜コース25万円」「きゅうりコース15万円」「キャベツコース13万円」の講師を 自ら無償で高速を飛ばしてエネルギーをつぎ込む人物だった。


太郎が 自己啓発セミナーの「白菜コース25万円」「きゅうりコース15万円」「キャベツコース13万円」を、社長に誘われるまま受講し出したのは言うまでもない。


純粋な太郎は 私にも 夫にも 次郎にも そのセミナーを勧めた。
私は
「そんな高額なセミナー…相手は心理学のプロが洗脳しているんよ。好奇心だけで受講したらミイラ取りがミイラになるよ」と止めたが、
土曜日・日曜日(私が休みの日)に電車に乗ってセミナーに行こうとする。


そんな時は 必ず夫から電話が掛かってきた。「太郎がまた 妙なセミナーに行こうとしている」
私は車を走らせて 太郎の許に駈け付け そのセミナーの金額の高さと洗脳の手口を 何とか解らせようとするのである。


結局、太郎は その会社を辞めると共に自己啓発セミナーも卒業したのだが
100万以上の出費だったらしい。



「家長の責任」とは何だろう…

家長の責任①

夫の悪口である。


私は 一旦 夫を捨てて別居したが、現在 夫の商売を手伝うと共に 食生活の面でも手助けしている。
私は 多分執念深いのだろう。


一時は「頭の悪い奴に 頭良くなれ と言っても土台無理な話し。バイト料をがっぽり戴く事で 今までの事は もう 許してやろう」と思ってはいたが、やはり色んな恨みつらみが沸々と心中に沸き上って来る。
忘れもしない・許しもしない、寛大ではない心を 私は持っているようだ。


下の写真は 現在の私の部屋の壁である。
その頃はインテリアに燃えに燃えていた。
視力の悪い中、平衡感覚に最大限の注意を払って…相当の時間を掛けて…
三段脚立の上部に登り、天井近くまでウォールステッカーを貼り付けた。


若い頃は、家事は全て私の仕事だったから 天井の電球替えも私の仕事である。
心の底では「こんな事くらい夫がやってくれても良さそうなものなのに」と不満に思いながらも
脚立に登るのは苦にならなかった。眼は大事だ。視力は良い方だった。


あれは もう お福も高校を卒業し 太郎が高校へ通っている頃だった。
その頃、夫婦仲が凍り付いている中で 意に反していたが、夫が騒ぐので仕方なく(計画していた)別れ話しを出した事があった…
確か 私の方が「今まで お父さんは何をしてくれたか?」と訊いた時の答えだったと思う。
夫が口にした言葉がある。
「俺は この家族の家長だ。長である。その責任は重い。
子供らが何かしでかした時・・警察沙汰を起こした時、警察に行くのはこの俺だ。俺には重い責任があるのだ。」
奴は 自分で自分の言葉を染み込ませる様な口調で言っていた。


下の写真は阪神・淡路大震災の直後、
私が 家具転倒防止金具を買って、か細い腕力で 箪笥と壁を固定した時の遺跡である。
今は箪笥は廃棄処分したので 金具だけが残っている。
夫は自然災害に対して、家族を守る為の策は 何も講じなかった。




因みに 40年程前、庭に大量の廃材を溜め込み その上にブロック2~3個置いて「それでよし」と脳天気だった夫…
強烈な風をもたらした台風が来た事があった。看板などは吹き飛んでいた。
私は幼い三人の子供に家の中に居る様 命じ、一人でその廃材にロープをかけ
ひとくくりにして 強風で飛ばない様 しっかり括りつけた。



「家長の責任」とは何だろう…

三日坊主

 去年 次郎が孫兵衛を連れてやって来た時、
 「この子が小学校に上がるまでにマイホームを持ちたいなぁ」
と言っていた。


 私はそのマイホームの資金援助を計画していた。


下の写真の封筒が計画書、ならびに現況である。


1万円札が3枚…


1ヵ月5万円ずつ封筒に入れて、2年で120万円貯め、
 次郎がマイホームを建てる時に援助する気満々である。


 気だけは満々だ。

青い鳥と五体不満足

現在 お福と私は「五体不満足」だ。


お福は脳。私は眼。
お福の統失だけは 何とか 私が存命の内に寛解まで持って行きたいが
多分 私の眼の不具合は変わらないだろう。


持病のバセドウの方は一生の付き合いになってもなんて事は無い。薬で調整できるのだから。


青い鳥は身近に居る。


一昨日は 太郎がちょっとした居酒屋に食べに連れて行ってくれた。
揚げたての天ぷらが美味しい店だ。久しぶりに 人間の食べる食事が食べられた♪、と言う感慨がある。



夫に言わせると とにかく私の料理は不味いらしい。
私は薄味志向である。山育ちの夫は 中学校を卒業して集団就職で町へ出るまで、
その子供時代を、ほとんど だだっ辛い沢庵で育ったらしい。
今は亡き田舎の義母の作った沢庵・梅干しは、私には到底食べられないほど辛い物だった。
二人の食生活が 足並みを揃えられなかったのも無理はなかった と思う。
私の作る料理に 夫はことごとく文句を付け、私は 今でもその細々したセリフをきっちり覚えている。
しかも 夫は自分では料理しないのだ。後年 聞くと「料理は知らない」だった。
食事マナーも… テーブルに出された物を「いただきます」の挨拶もなく、獣の様に先に先に と食べて行く。
猿のような夫だった。
一度 お願いしたことがある。「私が料理を全部作り終わって 席に座るまで待って欲しい」 と。
奴は言った。「膳と言うものは 最初から揃えているものだ」
つまり、妻なる者は 夫の食べたい時に 全部の料理をテーブルに揃えておかなければいけない、と言う意味である。
おそらく 自分を殿さまの様に思っていたのであろう。


私は長い間  調理を苦痛に感じ…認知症の父を介護し 同時にお福の面倒も看て、自身がバセドウを発症した頃から 食事を美味しく感じた事はなかった。



そんな無教養な夫とは違い、太郎・次郎は優しい。
次郎は契約社員で2年ほど働いた時期があったが 最初の給料でフランス料理を奢ってくれた。(これは狭小住宅に住んでいた頃の話である。まだ父の認知症も始まっていない、お福も統失を発症していない頃だ。)



一昨日 「残業代が意外と多くて給料が沢山入ったから」と言って、太郎が奢ってくれた定食は美味しかった。青い鳥だ。


☆☆☆☆☆☆


昨日は 次郎が孫兵衛(私の孫)を連れてやって来た。
彼奴等は数ヵ月に一度の割り合いでマンションを襲撃する。
孫兵衛は…、
ステンドグラスのランプを鏡にガンガン当て付ける、
私がパソコンを開いていると
遠慮なく 玩具をハンマー代わりにしてキーボードを叩きつける、
飾り物を置いている 玄関のテーブルクロスを力いっぱい引っ張る、
エレベーター内では 跳びはね ボタンを押しまくる、
電子レンジの扉を開け閉めして その音を楽しむ、
モデム・ルーターを遠慮なく触り 大人達があわてて止めようとする雰囲気を面白がる。


そんな彼らの為に、お福も午前中から部屋着に着替え
夜まで 小さな怪獣、孫兵衛に寄り添っていた。


私は 必死で 一日中 食事作りに掛かる。


夜はすき焼きだ。
まだ 鍋を真ん中に置いて、火に掛けながら 皆で 鍋をつつくのは無理だが
あらかじめ炊いておいて 適当に自分の好みの量を孫兵衛から離れたテーブルで食べる事なら出来る。
私自身が 歯も弱いこともあり 孫兵衛にも食べやすい様に
野菜を くったくたに煮る。


鍋物の嫌いな夫が居たら さぞ こう言うに違いない
「水気が多いじゃないか。それに野菜はサッと炊いて食べなければ 栄養も抜けてしまうし
歯ごたえも悪い。こんなクタクタに炊く奴があるか!」


しかし お福・太郎・次郎の子供達は優しい。文句は言わない。
文句を言う、と言う態度ではなく、美味しくない手料理に対しては 率直に
「美味しくない」と感想を述べる。


次郎が孫兵衛を連れてマンションに来てくれる。青い鳥である。


しかし…そんな青い鳥が居ながら…
やはり、自分の眼に見えづらい後遺症が残り
且つ、好きなヒップホップが時間的に出来ない状況にいる事、
この二つが 青い鳥の感知を妨げている事は確かである。


下の写真は すき焼き作りの道中だ。